この場所で
下山 光順さん
大中寺 副住職
今回訪ねたのは、沼津にある大中寺さんの副住職、下山光順さん。
木々の葉が色づく美しい時期に合わせて伺わせていただいた。
副住職である光順さんは、生まれも育ちも沼津、生まれた時から父親が住職という環境で育った。
700年以上の歴史がある大中寺。
「ここはお寺であり、実家でもあって、それよりもこの場所を預かっているという感覚。」と光順さんは話す。
「20歳くらいまでは継ぐことが嫌だなという気持ちがあった。引っ越したいなという願望とか。」
高校から9年間、光順さんはイギリスへ留学した。そこでの充実した暮らしが一つの転機となった。
「ふとした瞬間に地獄を感じたというか、ものすごく今の自分は楽しくて、でもそれは幻想でしかないなって。天国から地獄が見えた。そろそろ戻らないとなと思った。」
「こんなに楽しい思いをさせてもらって、何もせずにさよならはないよなって。実家と呼べる場所に後ろめたい気持ちで帰れない。恩返しが必要だと思った。私が生きて無意識のうちに受けてきた恩、産まれながらにして受けることができた恩が大きかった。出家して道場で修行をする以外の方法でこの恩に報いることができるとは思えなかった。」
修行中、お寺に生まれ育ったから継ぐという想いだけでは途中で心が折れていたと思うと話す光順さん。
幼い頃は気づかなかった自分に与えられてきた恩、これまで大中寺を守ってきてくださった方々への恩返しの気持ちが光順さんを導いた。
5年間の修行は、海外の留学生活とは真逆のものだった。全てやることなすことが決まっている修行、自由な環境だった海外。最初は自分の感情や想いを巡らせる隙もなかった。しかし辞めたいと思ったことはなかったという。
「修行中はこうじゃないといけないと教わる。こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、そこに気持ちがあることが一番大切なんじゃないかと思う。タイでも出家得度をしたが、手を合わせる先は同じでもプロセスは異なる。向けている心が何より大事なのではと修行道場を出た後に思えるようにもなった。」
「大中寺の環境は非常に恵まれている。歴史や文化もそうだが、地域の農家さんが作る大中寺いもの存在もお寺にとっては大きい。」
片手で持つのが大変なほど大きい大中寺いも。煮物はもちろん、ポタージュやフライなど一つで様々な食べ方を楽しむことができる。
100年以上前から続いている地域の伝統野菜の大中寺いもは、お寺と離れたところで様々な人の生活に寄り添っている。
「観光寺じゃない限り、お寺って何かしらの理由がないと行きにくいイメージがある。通勤で大中寺の前を通るけどここがお寺だって知らなかった人もいらっしゃる。お寺の歴史はこちらのエゴでしかなくて、それがあるからこそ何ができる?って動いていかないといけないと思う。」
お寺というもともと確立されたものがある中で、もっと知ってもらえるようにしていくこともこれからの課題だと光順さんは話す。
この場所で暮らしていくことを選び、副住職として5年目を迎える光順さん。
「お寺という環境にいると、この場所を守って発展させてきた先代の住職、支えてくださる地域の皆様のことを思わずにはいられない。その方々の思いや行いがなければお寺が今日までこのように存在しているはずがないから。どうやって共に生きるか、それに尽きると思う。」と話す。
食、アート、音楽などが活かされ、地域に発信していっているのも大中寺の魅力だと感じる。
「お寺としてはある種完成されているのでまず現状維持。それが難しいのだけど、700年の歴史を繋いでいく。伝えていく。」と話す光順さん。
“お坊さんになればいろんな人を救えるから、お坊さんになりなさい”
そうタイでの修行の終わりに言われた言葉通り、お寺に来た人のみならず、様々な方向から人々と関わり、心を、生活をこれからも救っていくことだろう。
この場所で。