絆を繋いでいく
齊藤 洋平さん
大宮町二丁目しゃぎり保存会 会長
三島の夏の風物詩、三嶋大祭り。
祭りには欠かせない「しゃぎり」の話を聞きたいー
3年ぶりのお祭りに向けて、町の人々の思いが日に日に高まっていくことが感じられる中、大宮町二丁目しゃぎり保存会 会長の齊藤洋平さんにお会いした。
三嶋大祭りは、毎年8月15日から17日の3日間行われる。
そのお祭りまであと1週間を切った最後の練習日。
空が薄暗くなり始めた頃、ゆるやかに集まった大人とこどもたちは、公民館から楽器を運び出し、三嶋大社へ向かう。誰かが指示をしなくとも、いつもの様子で、それぞれの役割を持って動いている。
齊藤さんのよく通る声を合図にして、こどもたちがそれぞれの楽器の編成に並ぶと「昇殿(しょうでん)、いくぞ〜!」としゃぎりの練習がスタート。次々と定番曲を奏でていく。
三島の人にとっては、しゃぎりの練習の音が聞こえてくると、祭りの季節の訪れを感じるという。そのくらい、三島の人には馴染み深いしゃぎりの音ではあるが、地域によっては「しゃぎり」という言葉を聞いたことがない人も、少なくないかもしれない。
しゃぎりというのは「三嶋囃子(ばやし)」の通称で、450年前からこの地域に伝わるという伝統芸能だ。
笛がメロディを奏でる祭囃子(ばやし)の場合、優美な印象になるが、しゃぎりは摺り鉦(すりがね)というバチで鳴らす打楽器が中心で、威勢よくテンポが良いことが特徴だ。戦国時代、武士の士気高揚のために打ち鳴らしたことが由来となっているらしい。
古くから人の心を高鳴らせ続けてきたしゃぎりの音。
小学2年生の頃、こどもながらにその音に魅せられた齊藤さんは、以来ずっと三嶋大祭り(旧三嶋夏祭り)でしゃぎりに参加してきた。
「こどもの時、しゃぎりを教わっている時間が、すごく楽しかったんですよね。今の町内会長さんに、教わっていたから。しゃぎり始めて30何年ですけど、今でも繋がっているのがすごく素敵だなと思って。こういうのを続けたいなって思う。」
練習の間も、小さな子の隣に走り寄って摺り鉦のリズムを一緒にとったり、高学年のお兄ちゃんにそっと耳打ちしたり、こどもと同じ目線に立ち、そばに寄り添っている姿が印象的だった。
「小学5、6年生とかはね『お前ら頼むな、下級生を引っ張っていってくれ!』というのが魔法の言葉なんですよ。」と笑う。
こども相手でも1人の人として接し、信頼関係を築いていく。
「新しく入った子たちの担当は自分にしてもらっているんです。自分が担当して、関係を作って、そうするとその後大きくなっても関係が続いて、深まっていくんですよね。」
会長になって8年、そんなやりとりを丁寧に積み上げてきた。
「しゃぎりを通してコミュニティができあがる。学校は縦、家族は横。けど、町内のお兄さんお姉さんというのは、ナナメの関係。そういうのがすごく良い絆になるんですよね。」
ひとりひとりに寄り添っていく。そんなやり方を見つけたのは、作業療法士という仕事の影響も大きい。
「作業療法士の仕事って、平行棒で歩いたり、筋トレやったりとか、いわゆるリハビリテーションだけじゃなくて、生活面にアプローチする職種なんです。手を握れない人には、スプーンを変形させてみましょうかとか。自助具というんですけど、そういうのを考えたり作ったり。」
コロナ禍での祭り開催のため、マスクをしながらでも笛が吹けるオリジナルマスクを全員分手作りした。2枚重ねにして真ん中に笛を通せる穴を開けた。吹きやすさに加え、見た目も損なわないよう、自助具と同様に身に付ける人への配慮が感じられた。
「人相手の仕事もしているというのももちろんだし、人が好きで、人と接するのが好きなので。どんな思いでいるのかとか、どんな風になりたいと思っているのかとか、いま何が辛いのかとか、そういうのを一緒に話して捉えるというのを大事にしているし、得意でありたいなと思っています。」
練習が終わると、こどもたちにはジュースが配られ、うれしそうな笑顔を見せる。
「こどもたちが練習に楽しんできてくれるように。そして、お祭りを体験するとかなり変わるんです。大人しい子でも本番はすごい声出すし。それを見るとうるっときちゃう(笑)。」
そして迎えた祭りの当日。
祭りではその年の「当番町」を務める町が、市内で山車を引き回し、夜には大社前で華やかな競り合いを行う。6年に一度まわってくる花形の役割だ。
祭りに参加する人も、見る人も「ようやくこの夏が帰ってきた。」そんな気持ちが町中に溢れていた。新型コロナウィルス感染予防・拡大防止のため開催されなかったこの2年間を取り戻すかのようだった。
大宮町二丁目が主に管理を担っている賀茂川神社の山車の車輪は、鉄輪と木でできている。新しい山車はタイヤが使われることが多いが、鉄輪は今や貴重で古くからの山車である証だ。
時を重ねた荘厳な佇まいは見る人を圧倒するが、山車に近づくと彫刻の繊細さに目を奪われる。三嶋大社にほど近い大宮町には、かつて宮大工が多く住んでいた。山車にほどこされた彫刻の丁寧な仕事ぶりからは、職人たちの誇りが感じられた。
齊藤さんも浴衣に着替え、いよいよ待ちに待った祭り。高揚感でいっぱいかと思いきや、そうではないらしい。
メンバーの動きを管理し、保護者に伝えるなど、しゃぎりを楽しむ間もないほど会長の業務は多い。
「役員をやっていなかった頃は、早くしゃぎりをやりたいって思ってたけど、会長になってからは無事に始められるか、子供が安全にできるか。大人の人たちを動かすから、発言に責任を持たないととか。1日の流れをずっとイメージしている。」
華やかな祭りの裏で、多岐にわたる業務がある。6年前、当番町を担当したときにそう実感した。
「今思うと、先輩たちが準備してやってくれたんだなとわかる。今後は自分たちがやっていかないと。そういうのを経験すると、しゃぎりが好きでしゃぎりをやってた時とは心境が変わりますよね。ああ、こうやってお祭りって運営するんだなと。」
祭りに参加し続けてきた中で、伝統や使命ということに意識が向いてきたという。
「伝統を引き継ぐ。三島のお祭りにしゃぎりは欠かせない。しゃぎりの音、お囃子で町内を盛り上げて、活気づけていくこと。大社のお祭りを盛り上げるという使命を自分も大事にしたいし、子供達にも教えていきたいですよね。僕が教わった時からは伝統曲にアレンジは加えていないんです。」
伝統を守る一方で、2年前には「社(やしろ)」という新曲を作った。
「その時代その時代で調和を取れば良いと思います。新曲とか新しいものも取り入れつつ、伝統を引き継いで続けていきたい。」
引き継ぐことと、新しいこと。
いにしえの人たちが繰り返してきたことに敬意をもって受け止めながら、伝統を受け継ぎ、未来に繋げていく。
そんな未来を担う、こどもたちへの想い。
最終日、鳥居前の据え置きの山車でしゃぎりをやる機会ができた。
「せっかくの機会だから、中学生を上げたんですよ。感激して泣いちゃいましたね。小さい頃から教えてた子たちが大舞台でシャキッと、真剣に、凛として。小さい子たちを引っ張って行ってるのを見て、大きくなったなぁと。」
大変なことは多いが、そんな瞬間があるからやめられないのかもしれない。
祭りが終わると、終わってしまった寂しさに襲われるというが、その寂しさを払拭するかのように、早くも翌年に向けて、また2年後の当番町に向けて、気持ちを向けていく。
「地域のコミュニティも濃くなって、子供達もグッと固まって、三島で一番仲の良い町内としゃぎり会とコミュニティでありたいなと思いますね。」
齊藤さんのお話からは「絆」という言葉が多く登場していた。
祭りもしゃぎりも、人から人へと伝える中で、人との関わりが生まれ、絆が育まれてきた。
周りの人がいて、自分がある。
これまで自分がしてもらったことを、今度は自分がみんなに還元していく。
齊藤さんがしゃぎりを続けるのは、周りの人への感謝の気持ちからなのだろう。